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藤川球児の現在は?YouTuberや阪神タイガースのSAとしても活躍!


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2020年に現役を引退した藤川球児さんは、火の玉ストレートを武器に数々の記憶にも記録にも残る偉大な選手でした。

現在はyoutuberとしての活動や、阪神タイガースの「Special Assistant(SA、特別補佐)」を務めています。

この記事では藤川球児さんの現在の状況と、アマチュア時代~現役時代に至るまでの野球人生をまとめています。

現在の状況

2021年からは野球解説者、スポーツ報知の野球評論家を務めています。

阪神タイガースの「Special Assistant(SA、特別補佐)」にも就任しています。

また、youtuberとしても活動中。

藤川球児の真向勝負」というチャンネルを運営中です。

アマチュア時代

小学3年生時に、地元高知県にある小高坂ホワイトウルフで野球人生が始まりました。

当初は内野手でしたが、途中で投手にコンバートされています。

中学生時に高知市立城北中学校の野球部に入りました。

当時の監督からは投手の素質を認められており、登板過多にならないような配慮もされていたそうです。

市内の大会でもダブルヘッダーがあるとき、どちらかは投げさせなかったとのことです。

中学生では野球以外で活躍していることもありました。

中学3年生時に川で溺れている男性を、同級生と一緒に救助活動し、のちに警察署から感謝状を受けております。

高校では高知市立高知商業高等学校に入学しております。

当初はストレートがMAX125キロしか出せなかったため、当時の監督が体重移動でボールを投げることを覚えてもらうために外野に就かせることもあったそうです。

2年生時に夏の全国高等学校野球選手権大会では外野手兼控え投手で出場しております。

当時の高知商業のキャッチャーが兄の順一さんだったそうで、兄弟でバッテリーを組むこととなりました。

3年生時にドラフト会議で、阪神タイガースから1位指名されています。

当時の阪神タイガース野村監督が「藤川君は野球以外に何か才能をもっていそう」という表現で褒められていたそうです。

現役時代

プロ入り当初は「火の玉ストレート」とは遠い存在でした。

身体作りを主に行っており、1年目の2軍戦でも3試合のみの登板になっております。

プロで頭角を現すことになったのは2004年頃ではないでしょうか。

当時コーチからの助言で中継ぎに転向したことで、結果を残し、シーズン後半には1軍に定着することになりました。

2005年には背番号を22に変更し、この年の阪神タイガースリーグ優勝に貢献することになります。

勝利の方程式「JFK」の一角を担い、80試合の登板で53ホールドを記録しています。

初タイトルの「最優秀中継ぎ投手」にも選出となりました。

2006~2011年シーズン間ではセットアッパーでの活躍となります。

年間防御率が2.01のシーズンが1度ありましたが、1点台の防御率が4度、0点代が2度もあり、ほぼ無双状態の活躍をしております。

2013~2015年シーズンはメジャーに挑戦しておりましたが、入団当初に右肘靭帯断裂の影響でトミージョン手術を行うことになりました。

このケガの影響で、メジャー時代は思うような成績を残すことができませんでした。

2016年からは独立リーグを経て、阪神タイガースに復帰することになります。

復帰後は中継ぎやセットアッパーで活躍していましたが、2020年シーズンにコンデション不良で現役を引退することになりました。

まとめ

今回は「藤川球児さんの野球人生」をまとめました。

火の玉ストレートで阪神の守護神として大活躍し、球界を代表する選手となりました。

日米通算243セーブを記録しておりました。

個人的には250セーブ達成を見れなかったことは残念でしたが、藤川さんが「全く悔いは無い」と引退会見で発言されていたので良かったです。